バーチャルブロガーの燕谷古雅(つばめや こが)です。
現実の日常ではコミュニケーションと文章を書いて伝えることが必要不可欠なもの。社会の中では伝える事が大事なものでした。
しかし、私は生まれつき「コミュ障」で、話すことと文を思い通りに書く事が苦手です。ただ人と接する事が苦手というわけでなく、上手く話す事が出来ないから人と接するのが難しく感じるからです。
話す時や文を書く時は思ったことしか発せないほど難しく感じます。いつもVRでイベントに参加したり、ブログを書いているのに何言っているんだ?と思われている人もいるそうですが、自分がものごとを発していることの感覚に違和感があると不安に思っています。
ソーシャルVRを始めた時、自分が作ったアバターを動かしたいだけでやり始めたが、人と会話するのが頭には入ってなくて、人の輪を入って話す時に苦手意識を感じるようになりました。私は「ただのコミュ障はソーシャルVRに向いていないか」とずっと不安が残っている。
リアルだけじゃなくバーチャル世界でも人の輪に入って話すとなると、何を話せば良いのか迷った状態で、冷や汗をかくほどアガってしまいます。話す時のタネがなく、どのタイミングで話せば良いのか分からないまま、終わってしまう事がしょっちゅうありました。
SNSでやりとりしたり、ブログを書いている時は考える時間が大変長くなることがあります。テーマや決められた事に沿って文を書くのも苦手で、迷ったように文を考える時が大変だったこともありました。ライティング力が乏しいのか、バズらず、成果も出ず、なぜ伝わらないのかと頭を抱えてしまう事がよくありました。
いくら上手く話そうか、上手く文を書こうと克服しても、「特有の特性」があり、克服する事が出来ず。生まれつきのものですが、頭の中に「これは仕方がない」でしか処理できない。
解決するために人と接し、関係を作るのは必要不可欠なものですが、私の場合は人をどう上手く接し、コミュニティーを作る事が苦手です。これができず、必要以上に抱え込んでしまいまいました。
無理して人と話したり、関係を作っても良くならない。下手にやると拗れてしまう事のを恐れているからだ。
私に言葉で発することが苦手意識を感じてしまうのか。なぜ言葉の指摘で相手から注意されるんだ。特に親で、普通に話している時に親から注意ばかりされ、話す気力が無い。
10年前、ブログやり始めの時に文章が日本語になっていないと馬鹿にされ、一時書く気力が無くなったこともあった。
このまま言葉を使う事が下手な私を向き合うことを考えるしかなかった。
私がなぜ相手に言葉が伝わらないのかと親に言った。生まれつき言葉の障害があると聞いてショックを受けた。その時に私の母子手帳を渡され、中身を読んだら「言葉の遅れがある」と知った。
「私は一生、このままだろうか」と抱え込んでしまった。言葉は一生使わないといけないものだろうかと。私には分からない言葉の表現が山ほどあるはずだ。ただ、無理して使わなくてもいい。
日常、仕事、リアルでもバーチャルでもやりとりすることが必要で、これがないと話が進まらない。それでも自分は無理してやりとりしなくてはいけない。言葉を使うことが必要だから。
2022年10月23日、ラジオ番組・言ノ葉ラジオのコーナーで「ことば」というお題が出た時、私の苦悶をこのツイートで投稿。
私には「ことば」を使うことに苦労した。
— 燕谷古雅(TsubameyaKoga)@バーチャルブロガー (@Tsubameyakoga) 2022年10月23日
自分の思っていること、言うことをどう発するか、どう伝えるか、理解するか。
一見使うのに便利に見えるが、思い通りに使うことが大変だ。
時にはそれを使う時に失敗することがよくあった。
一生使わなくてはいけない道具だから、上手くなるように使いたい。
言葉は一生に使わなければいけない道具。
完璧じゃなくても自分の思いを発したい。